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 明るい未来 2. 【ゴミ問題】
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U.微生物と明るい未来
=主に微生物の話=
 小学6年生の時「未来を描く」というテーマでグループ発表する事になった。大きなB紙(模造紙)余談ですが「B紙」と呼ぶのは名古屋だけだとか。その大きな紙「B紙」に皆で未来を描くのだ。他のグループは夢いっぱいの綺麗な未来を描いていた。しかし、私たちのグループは、せっせとゴミを描いた。その後方には、スモッグを煙突から吐き出す工場群。このテーマを選んだのは、恐らく私である。
 見回りに来た先生が「なぜゴミばかり描いているの?」とけげんそうに、私の顔を見つめた。その時の先生の、眉にしわを寄せた顔つきは今も忘れない。先生は夢いっぱいの「明るい未来」を描いてほしかったのだ。
 この頃、高度成長期。身の周りは綺麗で、新しいものであふれていた。私も恩恵を受け、楽しかった。大人は、どんどん新しいものを生みだし、いらなくなれば、まだ使える物も、どんどん捨てて・・。しかし、幸せと感じる中、大人達が捨てるゴミに不安も感じていた。
 綺麗な海をゴミで埋め立て、工場の排ガスで、綺麗な空気も少なくなっていった。
 今になると「夢は叶う」という事がよくわかる。「ゴミいっぱいの未来」は叶ってしまった。「美しい未来」を描くべきだったと今にして思う(笑)
 「暗い未来」を描いてから約20年後、私は大人になった。 ゴミの捨て場所がなくなり、工場や車の廃ガスの問題が浮上し始め、ようやく行政もあわてだした。人間は痛い思いをしないと対策できないものなんだなあ。とその時思った。
 しかし、アニメ「風の谷のナウシカ」に感じた宮崎駿さんの思いや、現在の企業の「ゴミ対策」に対する技術の進化などを知ると、すでに高度成長期に、私と同じ疑問を持ち行動を始めた先人が多くいたのだなあと感じた。
 子供の頃「明るくない未来」を描いた頃から、私にも何かできなかと「生ごみ→肥料」の、資源循環を行なっている。小さな事だけれど、出来る限りの事をしようと思っている。
 そして今後は、今の子供たちの為に、「明るい未来」を描いていきたい。  2025-02記述
ep「」に続く
■「土を育てる」
=伝えること=