私が小学校4年生の頃の社会見学の日の朝、私は母を「魔法使い」では?と思った出来事があった。
社会見学の前日の夜、パジャマを着て寝かかっていた私を立たせた母は、巻き尺を私の背中に縦にあてた。「何をしてるんだろう?」と思いつつも、すぐに眠りについた。
朝起きると、社会見学の日の着替えを手渡された。 全体が、まだらの赤っぽいえんじ色で、裾元と袖がフリルで縁どられた毛糸の「ジャンパースカート」。白いブラウスの上にそれを着てみた。かわいかった。夕べまでは、その赤いジャンパースカートは存在していなかった。「何だこれ?どっから出てきたものなのか?」疑問符で私の頭の中は、グルグル回転。 が、すぐに察しはついた。
母の内職である「毛糸で洋服を作る仕事」と「夕べの背中の巻き尺」から 母が一晩で、その「かわいいジャンパースカート」を作ってくれたのだ。
昨日なかった素敵なものが、目の前に出現。
その時、私は母を「魔法使い」ではないかと思った。
母の仕事は、いつも見ていた。「編み物」とは言え、母の手仕事は細密だった。お客様の体形寸法から「型紙」をおこし「ゲージ」を作成。網目を計算してから、毛糸を「編み機」の針に1本づつ取り付け、ようやく編み始める。注文者の身体にぴったりと合う毛糸の洋服や和服の羽織を作り上げる仕事。機械編みは、編み始めると生地は手早くできるものの、「型紙作り」と「網目の計算」は複雑で時間がかかる。
が、私に作ってくれたジャンパースカートは、私の背丈を測っただけで、型紙とゲージを省略し、一晩で編み上げたようだ。が、手を抜かず「夜なべ」したことは、フリルの手編み部分に感じることができた。私は夜なべの仕事を申し訳ないとは、思わなかった。 なぜなら、母は、私の喜ぶ姿を想像していたとは思うが、それより新しい物を作るチャレンジに、喜びを感じていた気がする。
朝見た母の、満足そうな顔は、杖をピピっと振るう「かぼちゃを馬車に変えた魔法使い」の顔と似ていたから。
最近、刺繍を始めた私は、その時の気持ちがわかるようになってきた。 2024-01記述
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